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Vol.3 サンドリーズショップ紹介シリーズNO.2  The otherside of Motherhouse

第2章 大学生時代 学問としての経済、そして金融のこと・・・。

物理を学ぶことで、人間を学ぼうとした少年は青年となり、大学へと進む。未だ自分の進むべき道はおぼろげではあったが、「経済」や「豊かさ」を意識する一つのエピソードに出会う。それはベトナムのストリートチルドレン達のひたむきな夢への思いであった・・・。物理から経済・金融へと変遷し、マザーハウスへとつながっていく、山崎氏の思いの道筋を追ってみた。

彼らみんな夢を持ってるんです。だから凄く熱く夢を語るんです。それこそ警察官になりたいから、バイクの修理屋になりたい、あと、お金を稼いで家族を幸せにしたいって・・・。

慶應大学藤沢キャンパス慶應大学藤沢キャンパス

物理の道は選ばなかった・・・。

そうなんですよ(笑)
実は大学も物理学科で志望していたんです。でも、ひとつ、自分の中でどうしてもひっかかることがあるんです。それがさっき言った「ベルリンの壁崩壊」の話でして、そのときに感じた「メディアの世界」への思いと言うか、憧れみたいなものはまだちょっとだけ残っていたんですよ。それで、メディア論なんかも勉強出来る、「慶応大学の総合政策学科」を記念受験するんです。あくまで物理志望なのは変わらないんですが、

小さいころ感じたおぼろげな夢みたいなものを、そこでちょっとだけ叶える。

そう、そうなんです。
本当に記念受験で、合格発表の日も当時の彼女とディズニーランドに行っていたぐらいなんです(笑)が、なぜか合格していたんです。

で、これだけ受かると思っていなかったところが受かったことで、逆に凄くそこに運命的なものを感じてしまったんです。昔見たあの「ベルリンの壁崩壊」がいよいよ自分の中で大きくなっていったんです。物理学科で決まっていたところもあったんですが、これは「メディア」に行こう!と急遽決めてしまったんです。

ベルリン、強いですねー(笑)

そうですね、とにかくあの映像をはじめ、世界の大きな動きを伝える力に凄く感動したんです。よし、メディアで人を伝えていこう、と。もともと物理に傾倒していったのも「人間とはなんぞや」みたいな疑問からはじまった訳で、その「人」を追求するには物理もメディア・マスコミもどちらも面白そうだな、と。
あと、さっきも言いましたが基本的に人と交わる、話すのが凄い好きなんですね。
多分、下町育ちであることが関係していると思うんですが、それこそ「もんじゃ焼き」屋でもんじゃ食べて、そのままそこのおっちゃんと延々と話し続けるのが当たり前、みたいなそんな風土や環境が、結果的に人に親近感や興味を持たせることにつながったような気がします。
で、入学してすぐ、大学1年の時に「ドキュメンタリー」を録り始めるんです。

慶應大学卒業式慶應大学卒業式

凄い行動力ですね・・・。たとえばどんなテーマだったんですか?

一番印象的なのはベトナムへ行ってストリートチルドレンを録ったものですね。さっきも言いましたが、小学校から自分が決して裕福では無い環境にあって、とにかくかなり自分自身いろいろ考えることがありました。生活環境的に凄く貧しく厳しいストリートチルドレンと、勝手に自分を重ね合わせていた部分もあったかもしれませんが(笑)とにかく彼らの生きる力が印象的だったんです。

生きる力・・・?

彼らみんな夢を持ってるんです。だから凄く熱く夢を語るんです。それこそ警察官になりたいから、バイクの修理屋になりたい、あと、お金を稼いで家族を幸せにしたいって言うのが多かったですね。とにかくそんな話を延々と語るんですよ、30分でも1時間でも。

日本の子供、あそこまで熱くは無いですよね・・・。で、そこでまた思ったんです。
「豊かさ」って何だろうって。夢を熱く語る、物質的に恵まれないベトナムのストリートの子供たちと、夢の無い日本の豊かな子供たち。これどっちが豊かなんだろう、みたいな・・・。
ありがちな論理ですが、お金があっても幸せとは限らないですが、それでもお金でこれだけ世界中の人々が翻弄されている訳で、ひとつの豊かさの指針・指標としては確実に存在していて、そのお金も含め、「経済」というものに凄く興味を持つようになる訳です。

めまぐるしいですね・・・。物理からマスコミ、経済と・・・。

そうですね、でも自分としては全てまったく関係の無い話では無いんです。
なぜならそこに人が絡むからです。経済ってお金の話に見られがちですが、もともとは「どうしたら人が豊かになれるのか」を追求して出来た学問ですから、そう言う意味でも自分に凄くマッチしていたんです。

竹中先生のゼミは半期に一回大きな発表会もあったり、50枚くらいの論文書かされたりで本当に厳しかったですが、今思えば人生であの2年間が一番勉強したかも知れませんね・・・。

で、いよいよ竹中ゼミに入るんですね・・・。

そうですね、大学2年から入りました。当時の彼女に薦められたんですけど(笑)、計量経済学を学びました。あと、文化人類学も別の先生ですが、学ぶようになったんです。

人類学ですか・・。まさに人の学問ですね。

そうです。人はどこから来て、どのように文明や豊かさを築いていったのか、みたいな自分には正におあつらえ向きな学問でした。計量経済の方は、ガチガチの数学が必要なんですが、物理が大好きだったこともあって、やはり自分に凄くフィットしましたね。
竹中先生のゼミは半期に一回大きな発表会もあったり、50枚くらいの論文書かされたりで本当に厳しかったですが、それだけに勉強になりました。日銀や外資系銀行の現役のエコノミスト達がその発表会を見に来るんです。そりゃ学生の論文発表なんて笑っちゃうレベルだったとは思いますが、それでもそんな方達は真剣に聞いて下さって・・・。本当に貴重な時間でした。今思えば人生であの2年間が一番勉強したかも知れませんね・・・。

大学3年からはゼミ長を務められるんですね。

はい。その頃に竹中先生が大臣になっちゃうんです。すっごく驚きましたよ。当時はゼミにもマスコミの取材なんかもたくさん来て、いろいろ聞かれましたし、時には六甲おろし歌ってくれとか言われましたりもしました(笑)先生が大の虎ファンだったんで。あとは所謂あら探しをしようとするマスコミもいましたね。「あの人本当はこうなんじゃないの?」みたいな。でも先生は本当に人柄も素晴らしいし、我々の中で悪く言う人はいませんでしたよ。

特別寄稿 山崎氏の恩師「竹中平蔵さん」より応援メッセージ!

竹中平蔵さん

拝啓

山崎大祐・株式会社「マザーハウス」殿

貴社ますますご盛栄のこととお喜び申し上げます。
この度、株式会社「マザーハウス」の株式会社小田急百貨店新宿店へのご出店、おめでとうございます。
ゴールドマン・サックスのアナリストとしてご活躍なさった後、発展途上国とのフェアトレードビジネスという、非常に困難なビジネスを始められ、また、一定の評価を市場から頂戴している事実を伝え聞き、私も大変喜ばしく思っております。
山崎さんとは平成13年から約2年、私のゼミでお付き合いさせていただいたのですが、当時から山崎さんは非常に勉強熱心で、ファイトとやる気に溢れる生徒でした。計量経済という、かなり複雑な学問にも真摯な姿勢で真剣に取り組み、優れた理解力と洞察力で自分達の研究でもリーダーシップを発揮していましたし、また、人間的にも温かみに溢れ、ゼミ長として、皆を引っ張ってゆく立場としてもその腕を振るっていました。
あのゼミで学び、感じ取ったことを今、まさに現実の市場経済の渦の中で生かしている、と山崎さん本人の声を伺い、教鞭にいた私も大変嬉しく思います。

是非、これからもその辣腕を、会社の発展と社会貢献に生かしてください。
共によく議論した“Cool head , Warm Heart”の精神で!

最後になりますが、「マザーハウス」の益々のご発展と、山崎さんご自身のご健康とご活躍を心よりお祈りいたします。

敬具

竹中平蔵
プロフィール

1973年 一橋大学経済学部卒業
 〃 日本開発銀行入行
1977年 同設備投資研究所
1981年 ハーバード大学、ペンシルバニア大学 客員研究員
1982年 大蔵省財政金融研究室 主任研究官(~87年6月)
1987年 大阪大学経済学部 助教授(~89年1月)
1989年 ハーバード大学 客員准教授
 〃 国際経済研究所(Institute of International Economics)客員フェロー
1990年 慶應義塾大学総合政策学部 助教授
1996年 同 教授
1998年 「経済戦略会議」(小渕首相諮問会議)メンバー
2000年 「IT戦略会議」(森首相諮問機関)メンバー
2001年 「IT戦略本部」メンバー  〃 経済財政政策担当大臣
2002年 金融担当大臣・経済財政政策担当大臣
2004年 参議院議員当選 >
 〃 経済財政政策・郵政民営化担当大臣
2005年 総務大臣・郵政民営化担当大臣
2006年 慶應義塾大学教授 グローバルセキュリティ研究所所長(現職)
 〃 社団法人日本経済研究センター特別顧問(現職)
 〃 アカデミーヒルズ理事長(現職)
2007年 株式会社パソナ 特別顧問・アドバイザリーボード(現職) (経済学博士)