ホーム > サンドリーズ・マガジン > Vol.3 サンドリーズショップ紹介シリーズNO.2 The otherside of Motherhouse (4)



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そんな山口さんとの交流をしつつ、山崎さんはGSでエコノミストとして多忙な日々を過ごす訳ですね?
ゴールドマンはすぐに重要な仕事をさせてくれる会社だったので、2年目からは市場レポートとか営業や投資家向け金融商品資料なんかも作っていました。
そんな順風満帆なエコノミスト業を辞めようと思ったのはなぜですか?
理由はいくつかあります。一つはもともとエコノミストは一定期間の勉強期間として捉えていたこと。もう一つはアジアをバイクで横断して、自分の足で世界の経済を感じたいとおもっていたこと。
特に二つ目はゴールドマンの職場が六本木ヒルズの45階にあるんですが、そこから下界を見下ろしているだけでは「実際」が全然見えないんですね。当時BRICs(ブリックス・・・ブラジル・ロシア・インド・中国)という言葉が市場で盛り上がって来ていて、そこの経済が凄い、と。でも実際何がどう凄いのか、が知りたくなるんですが、それを知るには山口では無いですが、自分の足を使うしか方法が無いんです。数字では分かるんですよ。このくらいの投資に対してこのくらいの伸びを示している、だから成長率はこのくらいで、予測される投資効果はこれくらい、みたいな。でも、本当にリアルなものは何も伝わって来ないんですよ。だから、自分で行きたいし、感じたくなったんです。
さらにもう一つは、当時ITの世界を中心に若い社長達が群雄割拠で出てきまして、その中でも代表格のある人と話をする機会があったんですが、とにかくその方の豊富な知識、発想や先見性に圧倒されてしまったんです。果たしてこのままここに居て、将来この人と同じくらいの年になったときに、自分にここまでの知識や経験、発想が身に付いているのだろうか、と。ちなみにその方がその時一番興味持っていることは「ミドリムシ」って言っていました(笑)とにかくその方の固定概念に囚われないところに凄く刺激を受けたあたりもエコノミストを辞す理由の一つかも知れません。
そして最後の理由ですが、これが一番大きいと思います。

六本木ヒルズ
ゴールドマン・サックス
(Goldman Sachs)
アメリカの金融グループであり、世界最大級の投資銀行である。ドイツ出身のマーカス・ゴールドマンによって1869年に設立された。モルガン・スタンレーやシティグループ等とともに、投資銀行業務の幅広い分野においてリーグテーブル上位に位置する名門投資銀行と言われている。
取引業務(株式や通貨などの金融資産や不動産の売買、資金の貸付)、投資銀行業務、富裕層へのプライベート・バンキング、保険業務を主としている。
ニューヨーク(ウォール街)、シカゴ、フランクフルト、ロンドン、東京(六本木)、香港、サンパウロといった主要な金融都市に拠点を置く。
当時のマザーハウス事務所兼自宅風景山口さんですね・・・?
そうです。彼女の存在が大きかったですね。ゴールドマンを辞める前の最後の一年は、山口のマザーハウスも少しずつ大きくなってきていて、自分も手伝ってはいたんですが、いよいよ大変なことになって来たんです。実はマザーハウスの最初の事務所は僕の家だったんですよ。
家(笑)?
そうです。家です。普通に生活している家ですよ。だから、ゴールドマンの仕事終わって家に帰るとみんないるんですよ(笑)手伝ってるほかのスタッフとかも、当たり前の顔で。僕の家の鍵持ってて。だから仕事終わって家に帰るとみんな仕事してるんですよ!
だから、目の前でいろいろなことが次々起こるし、何よりも山口が凄い勢いで成長していくのが分かるんですよ。
どんな時一番その成長を感じましたか?
一番は社長としての責任ですね。まずは社長がしっかりしないと会社は持たない訳で、彼女はそのプレッシャーと闘っているし、やる意味があってやってるし、自分の成し遂げたいことを強い思いで持ってるんです。その姿を見るにつけ、自分ももっと成長したいと思うようになりましたし、そんな頑張っているみんなの役にもっと立ちたいと思うようになりました。
それらの要素が折り重なってGSを辞め、マザーハウスに集中することになるんです。ちなみに今でも自分はそこに住んでいますし、家には名残の荷物がいっぱいです(笑)
でも、付け加えるならば、GSの仕事が終わって夜の11時とかに帰って来ると、そこでワイワイみんな仕事してる訳で、普通に考えると寝られないんですよ。ただでさえ金融は朝が早くて6時くらいには会社にいますから。でも、それでもそれが苦じゃないのは、みんなが目的を持って一生懸命仕事しているからで、それがとっても楽しいからでもあるんです。求めていた、すごくリアルな世界がそこにあったんです。
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最初のマザーハウス製品。山崎さんはマザーハウスの社外アドバイザー時代に販売の経験はあるんですか
あります。もちろんノーギャラで(笑)お手伝いで土曜日とか、GSの休みの日に百貨店の催事とかに立ったりしていました。まだ4型1配色しか無い時代ですよ。だから一日立っても全然売れないんですよ。小売を全く知らなかったこともあるんですが、こんなに売れないとは思っていませんでした。甘かったですね。朝の9時から夜の7時まで一個も売れないんです。
で、ある時ついに一個売れるんです、閉店間際に。
その時は?
その時は本当に嬉しかったですねー。本当に。携帯で大声で叫んじゃいましたよ。「うれたああああ!!!」って(笑)あれは本当に良い思い出ですね。とにかく一個を売る大変さはあの時身に染みてわかったし、一個を売る喜びも感じたし、あの時のことは忘れられないですね。
だから、目の前でいろいろなことが次々起こるし、何よりも山口が凄い勢いで成長していくのが分かるんですよ。
うちの百貨店にも「最初に売った商品とお客様は一生忘れない」なんて言う言葉がありますよ。
入谷店店内風景
戸越店店内風景
新宿店店内風景